30年間フィリピンで戦い続けた
「帝国軍人」がいたのを知っていますか?
小野田寛郎(ひろお)少尉
(出典:wikimedia.commons)
昭和19年フィリピンに派遣され、終戦後も任務解除の命令が届かなかったためジャングルに潜んで30年間戦い続けました。
ここで問題です。
そんな彼が30年ぶりに帰国して広島の原爆慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」と書かれているのを見て何と言ったのか?
A「2度とあんな戦争をしてはならない」
B「30年間もフィリピンに捨ておいた軍部が許せない」
C「唯一の被爆国として核のない世界を訴え続けなければならない」
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…実はどれも違います。
正解は「これはアメリカが書いたものか?」という困惑の言葉でした。
つまりこういうことです。 小野田さんは、「過ちは繰返しませぬから」という〝反省〟の言葉を使うのは、非人道的な兵器を使ったアメリカに決まっていると考えたのです。
まさか、戦後の私たちが疑いもせずに教わってきたように、「2度と間違った戦争などしません!」というような意味だとは考えもしなかったのです。
これほどまで、戦前を生きた軍人と、戦後の日本人とでは考え方に違いが生まれてしまっているのです。 果たして、人間の常識的な反応はどちらでしょうか・・・
そしてなぜ、ここまで考え方が違ってしまったのか?それは「こんな」ふうに私たちのおじいさんたちの言葉が「改ざん」されたからです…
改ざんされたニセモノの声に三島由紀夫が激怒
日本人は戦争中には命を的(てき)に戦った兵隊たちを「軍神」とあがめました。 一方、戦後には、犠牲となった同胞を真剣に語ることはありませんでした。
過去を過ちとして退け、完全に忌み嫌うべきものとしてしまうこと。それが戦後日本のスタートでした。
実際、こんな話があります、、、
戦没学生の遺稿集として最も有名な『きけわだつみのこえ』。 これは戦後すぐに〝エリート〟たちの手によってつくられました。
しかしここに載せる手記は意図的に選ばれ、戦後の「反戦平和運動」のスローガンに利用されたのです。
これに対し、小説家の三島由紀夫は最晩年、次のようにコメントしています。
《突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。そういう考えは、ぼくは許せない。》
掻き消された本当の声
祖国のために戦争に行く「覚悟」をもった人々は、亡くなるか、生き残っても戦後、黙って語りませんでした。
その「覚悟」がなかった臆病者だけが戦争を〝反省〟してみせ、スローガンだけの「反戦」を唱え、あんな戦争に行かないことが大人なのだと語ってまわりました。
こうして戦争に行った人々の「覚悟」は、〝勝てない戦争〟を引き起こした古い精神主義としておとしめられることになったのです…。
ですが、私たちのおじいさんたちのなかには、「戦う覚悟」をとことんまで突きつめた人たちがいました。 戦後語り継がれてこなかった、本当の声です。
興味深いのは、戦前の日本人だって「お国のために死ぬことが大事だ」と盲目的に信じ込んでいたわけではないということです。
「自分の命をどう使うのか?」という個人の問題として真剣に考えた20歳そこそこの若者がつい70数年前にいたのです。
その代表例が昭和18年12月に学徒として出征し、19年9月に戦病死した池田浩平による『運命と摂理 一戦没学徒の手記』です。
本書復刻のきっかけをくれた文芸評論家の富岡幸一郎先生はこういいます…
今日の「自由」と「民主主義」と「平和」の豊かな日本社会のなかで、少なからぬ若者たちが、いやむしろ大人たちが見失ってしまった、真剣な「人間の決断」が、ここにはあると思われる。
令和四年、二〇二二年という年にこの本をあらためて手にすることができるということは、大きな歴史的な意義があると思う。
というのも、今、この国は大東亜戦争敗戦以来の最大の危機をむかえているからであり、本書はその「危機」の本質をとらえるために、きわめて貴重な思索をわれわれにうながさずにはおかないからである。
また作家の佐藤優さんは本書についてこういいます。
キリスト教を信仰する著者が、戦争とどう向き合い、当時の社会をどう見ていたのかが垣間見える一冊
戦前・戦中の中学校、高等学校や大学では、悠久の大義に死んだ人の魂は永遠に生きると教えていました。
とは言っても、そういう教育で自分の死について納得できる人はそれほど多くなかったと思います。だから誰もが死について思い悩みました。
佐藤優「インテリジェンス人生相談」(週刊SPA! 2022年11/22・29合併号)
戦没学徒によって遺され、「戦後の日本人」に嫌悪され排除されてきたこの書に、戦争に行く覚悟をもった彼らが後世のわたしたちに託した真の想いが注がれています。
●自分の人生の残り時間をどう使うか?
●子供や孫世代に何を残すか?
●日本のために何ができるのか?
戦争と徴兵によって学びの道を理不尽にも奪われたなかで、なお生きることに価値を、そして死することの意味を問い続けた、まだ20歳前後の若き世代…
厳しい現実に直面した私たちのお父さんやおじいさんたちが悩んでくれた痕跡を手がかりに「生きること」「死ぬこと」を考えてみませんか?
高知県立大学で焼却された書
2018年8月下旬、高知県立大学で3万8132冊が焼かれました。
うち6659冊は複本がなく、中には古書店でも入手が難しい絶版本や高値で取引されている図書が多数あったようです。
(FNNプライムオンライン「高知県立大学が蔵書3万8000冊を焼却。譲渡や売却は考えなかったのか?図書館の担当者に聞いた」(2018年8月24日))
それにもかかわらず、売ることもなく、蔵書が増加し続けているため、という理由で焼却されたのです。 そのうちの1冊が1943年11月当時、旧制高知高校2年生だった池田浩平さんの『運命と摂理』でした。
人々は本を読まなくなり、出版部数が減り、ますます先人の声を残すのが難しくなっている昨今… 営利企業である私たちとしても、いつまで出版し続けられるかわかりません。
ですので、この機会に少しでも多くの人に手に取っておいていただきたいと思っています。
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